購入経緯は忘れましたが2年ほど前に買った洋書。
こちら↓
ワタクシ函館弁と石川弁はかなりいけるんですが英語はカラッキシダメでして読めません。
が、何度もこの本を見てると何を言わんとしてるかがなんとなく見えてきます。
知ってる人は多いと思いますがこの本、バージョンは古いのですがヨーロッパのビリヤードトレーニングドリルの本の初級本なんです。
詳しく書くと長くなりますので割愛しますが日本にはないタイプの教本です。
ばーっと見て日本の本と違うのは答えが書いてません。
こんな感じです。
『はい、あなたはどうする?』
って感じ。
『ほほ~( ̄ー ̄)y。。。』
なんて私は思うわけです。
そこには撞点も力加減も取り方も書いてません。
こんな絵がいくつかあって想像いたしますと・・・
『英語は読めない』・・・・じゃなくて、『答えは自分で探せ』と問いかけられてるような気がします。
この配置での取り方は千差万別なんですが、やり続け一番要領のよい取り方を考えると何種類かに絞られてくると思うんです。
それがこの本の言いたい事なんでしょう。
『自分で考えろ』って事です。
ビリヤードって何なんですかね?
綺麗なフォームを作るのがビリヤード?
ブリッチが綺麗に出来るのがビリヤード?
撞点は9個?
確かに大事ではありますがビリヤードってゲームですよね。
各ゲームにはルールがあってナインボールなら9番入れたら勝ち、ローテーションなら120点とか240点とか先に点数に達したら勝ちとかってゲームです。
ビリヤードってゲームなんです。
ゲームって勝つ為に自分で考えて自分で攻略してより良い方法を自分で探し勝利に結び付けていくものです。
最近のゲームには必ず攻略本があって攻略方法が書いてます。
出来るか出来ないかはともかく攻略するための方法やヒントが書いてます。
同じくゲームであるビリヤード。
ビリヤードの本を買って開くとそこに書いてあるのは・・・?
ビリヤードの本質であるゲームの攻略については残念ながらあまり書かれていません。
ゲーム攻略については自分で考えろってこと?
それではビリヤードの本はビリヤードの取扱説明書になってしまいます。
ビリヤードゲーム攻略こそがビリヤードの本質ではないのでしょうか。
日本のビリヤード本がダメだって話ではないんですよ。
ビリヤードするために必要な事はキッチリ書いてます。
私が思うのはその次の段階です。
確かにブレイク後の配置は二度と同じくはならないし相手によっても変わる事が色々あり、書ききれないことも沢山あります。
ですが共通して必要なことは『自分で考える』って事。
これはビリヤードだけではなくスポーツでも競技でも仕事でも友達関係でも趣味でも何でも当てはまる共通スキル。
英語の読めない私がビリヤードの洋書を見てこれだけの事を感じれるのは自分で考えれたからです。
レッスンを受ける方々はレッスンには自分の知りたい答えがあり、その答えを聞くための代価としてレッスン料金が発生し答えを知れば上達すると思ってる方がほとんどだと思います。
確かに答えはあります、それを提供もできます。
考える力がある方はレッスンをヒントに上達できるでしょう。
ですがそうじゃない方は答えだけを知りたがる。
答えだけを知りたいのならせめてメモを取るなり何かをして蓄積して後から練習したら良いのですがそれにしても“考える力”は必要不可欠。
答えを知る事が上達なのでしょうか。
自分で導き出した答えとその場で知った答えは同じ答えでもその後が大きく変わってきます。
本当の意味での上達とは自分で考える力を養うということなのではないのでしょうか。
考えれる力が身に付けばレッスンをヒントに自ずと上達していくでしょう。
私の場合その考える力をビリヤードという媒体を使って教えるのが仕事なのではないのかと思い始めてる今日この頃です(^^)
もちろん賛否はあると思いますが私個人の意見は・・・
“考える力”がない方は・・・何やってもダメです。
あなたが欲しいのは“答え”ですか?
それとも“考える力”ですか?
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